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2002年 世界の科学者シリーズ

2002年1~2月 アインシュタイン 1879~1955

相対性理論の提唱者で原子物理学の先駆者。 ユダヤ系ドイツ人商人の子。 ドイツの高校の押し付け教育を嫌って中退し、スイスのチューリッヒ高等工業学校に入学、1900年4人中ビリの成績で卒業。スイスの特許局の技官となったが、1905年に3つの革命的な論文を提出した。 光量子論と分子の実在を証明した論文と相対性理論である。そこでまもなく世界の学界に認められて、ドイツの物理学研究所の所長に迎えられたが、ユダヤ系として追放され、1933年米国のプリンストン高級科学研究所の所長に招かれた。 世界大戦が起きると、米大統領に原子爆弾の製造を提言したが、戦後、世界の平和運動にも尽くした。

2002年3~4月 ジョン・ドルトン 1766~1844

科学的な原子論の生みの親。 英国の農家の次男に生まれ、12歳で小学校の教師となり、さらに町の私立学校の教師として広範囲のことを教えながら独学し、21歳で自然科学の連続講義を開くまでになった。 学費がなくて、大学に進学することは断念したが、マンチェスターの私立専門学校の教師に招かれ、数学と物理を教え、文理学会の会員となって研究を進め、まず色盲の存在を発見した。 1800年には専門学校の教師をやめ、個人で塾を開いて生計を立てながら、「原子の相対的な重さを明らかにして、それをもとに化学の体系を作りなおす研究」に打ち込み、「化学哲学の新体系」(1808年)を著して、化学的原子論を確立した。

2002年5~6月 アイザック・ニュートン 1642~1727

分光学と微積分学と力学を確立。 英国の農家に生まれ、一時農民として働いたが、継父の遺産のおかげでケンブリッジ大学に入学して科学者になることができた。 65年プリズムによる太陽光の分光現象を研究して、白色光は各色の光の混じったものであることを解明して分光学の生みの親となり、反射望遠鏡を発明した。 その後、微分積分学という新しい数学を作り出すことに成功し、運動の力学の研究に進み、万有引力の法則をもとにして惑星の運動を数学的に証明することに成功、「自然哲学の数学的原理」(1687)をまとめた。 そこで造幣局の管理職に任ぜられて造幣局長官・ロンドン王認学会の会長にも就任した。

2002年7~8月 アリストテレス 紀元前384~322

古代ギリシア最大の哲学者・自然学者。 マケドニア王の侍医の子でプラトンに学ぶ。 師の死後、各地に旅して動物の生態を研究し「動物学」を著す。343~35年のちのアレクサンドロス大王の家庭教師を務め、335年アテナイに<リュイケイオン>という学校を設けた。 <大地球形説>や<地・水・気・火の四元素説>などは、必ずしも彼自身が発見したものではないが、古代ギリシアの研究成果を詳しく説明して多数の弟子を育て、ほとんどあらゆる自然現象について研究して膨大な著書を残した。 特に、博物学では500種以上の動物を研究して分類して、クジラが哺乳類で魚類でないことも明らかにした。

2002年9~10月 ルイ・パストゥール 1822~1895

生物の自然発生説を葬った微生物学者・科学者。 フランスの皮なめし屋の長男。 高等師範学校を卒業して、1849年にカビは<立体的に構造が対称な酒石酸の2種類の結晶>のうち、1種類の分子だけを食べることを明らかにして、生物と物質構造の解明に成功。 1857年に母校の教授になり、「発酵物質を熱処理すると発酵が起きない」ことを突き止め、有機物の発酵や腐敗が微生物によるものであることを解明、「微生物の自然発生することはない」ことを明らかにして、消毒法や食物保存法の基礎を確立した。 その他、カイコの感染症の予防法を確立し、敗血症の病原菌の発見と予防法も確立。 狂犬病の治療にも成功した。

2002年11~12月 アルフレッド・ウェーゲナー 1880~1930

大陸移動説を提唱した。 ドイツの牧師の子。 ベルリン大学を出て極地気候学者となったが、探検も好きで、1906年には兄と一緒に気球乗り競争で滞空52時間の記録をたて、同年6月から2年間デンマークのグリーンランド探検隊に気象学者として参加した。 1911年1月世界地図帳を見ていて<南アメリカ大陸の東海岸線>と<アフリカ大陸の西海岸線>がぴったりあわさる形をしていることに気づき、大陸移動説を提唱、「大陸と海洋の起源」(1915)にまとめた。 1930年4月ドイツのグリーンランド探検隊の隊長となったが、遭難して死亡した。 その大陸移動説は死後かなりたって認められるようになった。