2001年1~2月 レーヴェンフック 1632~1723
微生物の発見者。 オランダのデルフト町の職人の息子。 早く父を失い、古典学校に通ったが、1648年16歳のとき、首都アムステルダム市の服地商人に徒弟奉公して、54年独立、デルフトで商店主となったが、1660年28歳のとき市の収入役にも選ばれた。 それから間もなく、英国のフックの『ミクログラフィア』(1665)の中の見事な顕微鏡観察図に刺激され、直径数ミリ以下のガラス玉をみがいたレンズ一個だけの顕微鏡を考案して、世界ではじめて微生物を発見することに成功した。 彼はアカデミックな職業にはつかなかったが、数多くの観察記録を英国の王認学会に送りつづけ、世界に注目されるようになったのだ。
2001年3~4月 メンデル 1822~1884
生物の遺伝の法則の発見者。 当時オーストリア帝国領となっている(現在チェコ領)小さな村の農家に生まれた。 苦学してブルノ市の修道院に入り、ウィーン大学に留学して選科生として物理や植物学を学んで、修道院で生活しながら地元の国立実科学校の低学年生に物理と博物を教えた。 1856年以後、修道院の庭にエンドウを栽培して交配させたところ、遺伝される性質が数量的な簡単な割合で発現することに気づいて、遺伝の法則を明らかにした。 彼はその法則を地元の小さな学会の雑誌に発表したが反応はなく1884年に亡くなったが、1900年になってその法則が相次いで再発見されて、「メンデルの法則」と呼ばれるようになった。
2001年5~6月 ライト兄弟
兄:ウイルバー(1867~1912)、弟:オーヴィル(1871~1948)
最初の飛行機を発明した人。 米国の五大湖の南に巡回牧師の3男・5男として生まれ、デートン市で育った。 兄は18歳のとき高校のスポーツの試合で大怪我をして中退、弟も母親の病気のために18歳で高校を中退して、大学は出ていない。 二人は子供のときから商売熱心だったが、1894年には二人で自転車屋をはじめた。 その二年後の1896年「ドイツのリリエンタールが自分で製作したグライダーで試験飛行中に墜落死した」というニュースを聞いて、飛行機の発明研究を志した。 1990年にグライダーを製作し、風洞で空気力学の知識を得た末、1902年12月17日人類最初の飛行に成功した。
2001年7~8月 フレネル 1788~1827
光の波動説を確立した物理学者。 大革命の前年のフランスに建築家の子として生まれる。 パリの理工科学校で当時最高の科学教育を受けて土木技術者となった。 1815年3月、エルバ島に閉じこめられていたナポレオンが兵をあげたとき、職を捨ててナポレオンに反対する軍隊に加わったが敗北し、一時職を失った。 そこで暇をもてあまして光の研究をはじめた。 光を波動として光の回折や干渉の現象を数学的に説明することに成功し、光の波動説の確立者と認められるに至った。 また、灯台に使う一個の大レンズの代わりにプリズム状のガラスを沢山組み合わせることを考案して、今日のいわゆる〈フレネルレンズ〉の創始者となった。
2001年9~10月 メンデレーエフ 1834~1907
元素の周期律の発見者。 ロシアの西シベリアに14人兄弟の末っ子として生まれる。 ペテルスブルクの高等師範学校で化学を学んだあとドイツに留学して同地の大学の助教授・教授となった。 1867年に無機化学の教授となって、〈一般化学〉という新式の教科書の執筆をはじめたとき、その記述の順序が問題になった。 そこでカードに元素の名を一つずつ書いて並べ替えて考えているうちに、「元素をその原子量の大きさの順序に並べるとその性質が周期的に変わる」ことに気づいた。 そこで、何箇所か未発見の元素があるとして空欄を設けると、すべての元素の性質が周期的に変わることを確認して、元素の周期律表を完成した。
2001年11~12月 ラザフォード 1871~1937
原子核物理学の創始者。 イギリスの植民地だったニュージーランド生まれ。 地元の大学で物理学を学んで、1895年に奨学金を得て英国のケンブリッジ大学大学院に進学、J.J.タムソン教授の電子の発見を助けた。 1899年には同じく英国の植民地だったカナダの大学の教授となり、化学のソディ教授と共同で放射能の原因を明らかにすることに成功。 1907年ノーベル化学賞を得た。1906年英国のマンチェスター大学の教授に転じて、原子核の存在を突き止めることに成功。 ケンブリッジ大学のキャベンディッシュ研究所の所長に迎えられ、中性子の存在を予言し、男爵の爵位を与えられ、1933年には原子核を破壊する実験にも成功した。