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2000年1~2月 ガリレオ・ガリレイ  1564~1642


2000年1~2月 ガリレオ・ガリレイ

近代科学の父。
フィレンツェ共和国の織物商の音楽理論家ビンチェンツオ・ガリレイの長男。
ピサ大学医学部を中途退学し、民間の機械学者にアルキメデスの力学を学び原子論を支持。
1589ピサ大学の数学講師、93年ベネチア共和国のパドバ大学自然哲学教授となり、自宅で機械学を教え、振り子や落下運動の法則を発見。
1609年望遠鏡を自作して<月の凹凸>や<木星の衛星>を発見。
10年大公付き宮廷自然哲学者としてフィレンツェにもどる。
32年『天文対話』を著して地動説を主張し、宗教裁判にかけられて自宅に監禁され、38年両眼が失明したが、『新科学対話』をオランダで出版。
温度計と振り子時計も設計。

 

2000年3~4月 チャールズ・ダーウィン 1809~1882


2000年3~4月 チャールズ・ダーウィン

近代進化論の創始者。
著名な医者エラズマス・ダーウィンと陶芸家ウェジウッドの孫。
はじめ医学のち神学を学んだが、1831~36年英国軍艦の探検航海に博物科学者として同乗して世界を一周し、39年『ビーグル号航海記』をまとめる。
この航海中とくにガラパゴス諸島で珍しい鳥の変異などを観察して、生物の変異の仕方に着目。
大学教授のみならず地主として自由に研究し、生物の進化を示す多数の事実を収集する一方、自然淘汰によって進化が行われることを証明して、59年『種の起源』にまとめた。
『飼育による動植物の変異』(1868)『人間の由来』(1871)『みみずと土』(1881)など多数の著書も著す。

 

2000年5~6月 キュリー夫人(マリア・スクウォドフスカ・キュリー) 1867~1934


2000年5~6月 キュリー夫人(マリア・スクウォドフスカ・キュリー)

二つのノーベル賞に輝く女性科学者。
ロシア支配下のポーランドの高校の物理教師の末娘として生まれ、83年高校を卒業。
女性のため大学入学の道をとざされ、91年フランスに留学しパリ大学物理学科を卒業。
95年8歳上の物理学者のピエール・キュリーと結婚し、放射能の研究を開始。
98年トリウムの放射能を発見、同年夫とともに未知の放射能元素を分離しポロニウムと命名、1902年新元素ラジウムの分離に成功し、03年夫婦でノーベル物理学賞を受賞、06年夫が交通事故死したあとパリ大学の最初の女性教授となる。
11年二つの新元素発見でノーベル化学賞も受賞。二児の母でもある。

 

2000年7~8月 ベンジャミン・フランクリン 1706~1790


2000年7~8月 ベンジャミン・フランクリン

電気学と米国建国の父。
英国植民地の石鹸屋の第8子。
学校には2年通学しただけ。
徒弟奉公した兄の印刷屋を脱走しフィラデルフィアの印刷工となり勉強会を組織。
のち28年印刷所を経営して成功する一方、図書館や消防組合の設立運動を展開して市の有力者となる。
41年新式ストーブを考案。
46年電気実験を開始して+-電気の概念を提唱。
カミナリの電気説を提唱して、避雷針を考案。
53年ロンドン王認学会からコプリー賞を受賞。
57~62、65~75年植民地各議会代表として独立運動に献身。
76~85年フランス大使、帰国後フィラデルフィア州知事として合衆国憲法会議に参加。
62年ガラスで新楽器を発明している。

 

2000年9~10月 オットー・フォン・ゲーリケ 1602~1686


2000年9~10月 オットー・フォン・ゲーリケ

真空ポンプと摩擦発電機の創始者。
ドイツのマグデブルク市の要職を占める名門の家に生まれ、1617年法律を学ぶために大学に入学したが、翌三十年戦争が勃発し、戦争で荒れた町の再建を意図してオランダのライデン大学に留学して建設技術を身につけ、仏・英両国も視察して、26年帰郷。
市の要職についたが、31年市は戦場となって荒らされたので、その再建工事に従事する一方、35年ごろから空気ポンプの発明に取り組み真空実験に従事。
46年市長となり、54年レーゲンスブルクのドイツ会議に参加、大規模な真空実験を公開した。
72年『真空に関するマグデブルクの新実験』を著し、摩擦発電機にも言及。

 

2000年11~12月 アルキメデス 前287頃~221


2000年11~12月 アルキメデス

静力学の父。
古代ギリシアの植民地シュラクサ(イタリアのシシリー島の海岸の町)の名門の家に生まれる。
ギリシア人の植民都市エジプトのアレクサンドリア市に留学しエウクレイデスの幾何学を学んで帰国、テコの法則を確立した。
シュラクサ王の求めに応じて、各種の伝説的な機械器具を考案したとされるが、〈アルキメデスの螺旋式揚水機〉は実用的な発明として伝わる。
また王冠に金以外の金属が混入されていることを王冠をこわさずに解明することを求められて、風呂の中で〈複雑な物体の体積測定法〉に気づき、〈浮力の原理〉を明らかにし『浮力論』を著す。シュラクサがローマ軍に滅ぼされたとき誤って殺された。

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